大統領の視点から描かれるのは、一個の個人=人格としてのヘンリー・アシュトンが権力装置としての大統領府のなかで孤立し、疎外されている状況である。権力構造としての大統領府と中央政権は、とりわけ2001年の秋、そして対抗テロリズム戦略の発動以来、大統領に就任した個人のパースナリティを押し殺して、運動しているように見える。
大統領は、この権力装置のなかであたかも意志を持たない操り人形のように型にはまった役割を果たすだけである。大統領という「役割の鎧」が、アシュトンをがんじがらめに拘束しているようだ。
ヘンリー・アシュトンはその日、マヨール城広場に向かっていた。大統領を乗せた専用の重装甲リムージンの周囲を一群の護衛の車両が取り囲んで、サラマンカ市街地を走っていた。その車両群が地下トンネルに入ったとき、ペンタゴン統合参謀本部(情報部)からの緊急電話が入った。
「アメリカ大統領をサラマンカで暗殺する」というアラブの「聖戦戦線」からの脅迫メッセイジが合衆国政府に届いたというのだ。
車両群はただちに停止して、ポートゥス作戦が発動された。
この作戦は、本物の大統領を安全な場所に移動させ、マヨール・プラーザには「影武者」を送り込む、そして大統領暗殺を狙うグループを包囲して殲滅ないし捕縛するというものだ。だが、ヘンリー・アシュトンは、この自体を苦々しく思っていた。
というのも、レイガンの狙撃からこの方、外国への大統領の訪問ではつねに「影武者」が派遣され、そのダミーが大統領府が要した声明文や演説文を読み上げることになっているからだ――この物語では、そういう状況設定になっている。
大統領の傍らには、対外政策強硬派の補佐官、フィル・マカラウが常駐していた。彼は、ポートゥス作戦を指揮し始めた。
そして補佐官は、大統領府と統合参謀本部とが合同で準備している作戦についてブリーフィングした。
今、アメリカの友好国モロッコ――エスパーニャの対岸北アフリカ西部にある――の過激派組織が国内にテロリスト・グループ「聖戦戦線」の隠れ家を用意して、今回の首脳会議の妨害を狙っているという。そこで、大統領府とペンタゴンは、その隠れ家に向けて軍事衛星を利用した遠隔ミサイル攻撃を仕かけようと即応態勢を準備していた。この先制攻撃が、大統領暗殺を狙うテロリスト・グループの企みを打ち砕くために有効だと判断したからだ。
だが、アシュトンは、この作戦の発動には反対していた。
大統領としては、テロリストに対して単独行動主義的に強硬な先制攻撃を仕かけるよりも、今回の首脳会議でテロリズム対策での先進諸国(NATO構成諸国)の合意を取り付ける方が、テロリズム包囲網の構築のためには、はるかに良好な結果を期待できると考えていた。
そこで、テロリストによる暗殺の脅迫を受けて、ただちにモロッコ辺境への先制攻撃を主張する補佐官の提案を、その場で拒否した。
さて、本物の大統領を警護する車両群が地下トンネルに停止していると、この車両群とそっくり同じ編成の車両群がやって来て、本物と入れ代わり、マヨール広場に向かった。本物の大統領は、ホテルに引き返した。
ホテルに戻った大統領は補佐官たちと、マヨール広場での「大統領演説」のテレヴィ中継報道を観ることになった。アシュトン自身は、自分の身代りを広場に送り込むことには何となく不快感を感じていた。そのダミーの傍らには、先頃、彼の身代りになって銃弾を受けたトーマス・バーンズがいて、警護任務を果たしていた。
アシュトンは、命の恩人ともいうべきトーマスが、偽物の大統領の警護任務についていることも気に入らなかった。アシュトンは、トーマスを自分の傍らに置きたかった。だが、銃撃後、強度のPTSDに悩まされ続けたトーマスの能力に疑問を持つ補佐官たちは、トーマスをアシュトン自身の警護から外して、しばらく様子を見ようとしていたのだ。
さて、アシュトンたちが観ているテレヴィ画面に大統領の狙撃シーンが流れた。テロリストは、犯行予告どおりに暗殺を実行した。
フィル補佐官は、事態を受けてモロッコ辺境への攻撃命令を出すよう、アシュトンに促した。アシュトンは逡巡した。別の補佐官が、銃弾を食らった大統領が攻撃命令を出せるはずがない、と反対した。「では、副大統領に命令させましょう」とフィルが迫った。だが、アシュトンは拒否した。
「この首脳会議で対テロ戦略への合意を得ることそのものが、テロリストへの最大の報復になるはずだ」と。
その直後、今度はこのホテルのロビー前で自爆テロが発生した。補佐官と警護班はただちに緊急防御態勢を整えて、大統領を安全な場所へ移動させようとした。ところが、そこにドアを爆破して武装したテロリスト・グループが侵入し、警護班や側近たちを銃撃した。そして、大統領に銃を突きつけた。